Lism -RITZとmaaiのふたりごと-

楽しさ、追求中。

LGBT教育を考える。

 

2017年最後の学びの時間を。

LGBT教育

・その対象はさまざまであり、指導内容も多岐に渡る故に、明確な指導ガイドラインというものは日本にはまだ存在しない。

 

LGBT教育の対象は、

すべての児童・生徒

LGBT当事者の児童・生徒

・教員の先生方

・学校に帰属する全職種の方々

・保護者のみなさま

と、さまざまです。しかしながら、LGBT当事者にフォーカスされがちな学校社会、すべての子どもたちが教育対象であることを、マイノリティ性に着目する我々だからこそ、常に念頭に置いておく必要があります。さらに、担任の先生だけではなくすべての教員、そして子どもを取り巻くすべてのオトナたちが教育対象であることも忘れてはなりません。

 

つまり、子どもの発達に携わるすべてのヒトがLGBT教育の対象であるわけです。その多重構造を把握した上で教鞭をとる、そこに責任をもてる発信者であって欲しいと我々は願います。

 

さらにLGBT教育の指導内容ともなると、

その状態像の理解だけではなく、生理・病理に基づく理解もあれば、心理学的解釈に基づく理解もあります。知らなければならない専門的な知識はもちろんのこと、当事者たちを取り巻く現状から、環境因子と個人因子を把握する必要もあります。さらにその重症度によって、その先の対応は全く異なるものになるでしょう。さらに、前述したあらゆる要素は、カテゴライズごとに異なる、いいえ、個人によって異なるわけです。だからこそひとつのカリキュラムとして未だに確立され難いんですね。

 

定義の説明と典型的な状態像に基づくサポートの提案に留まる現状のLGBT教育にも、もちろん意味はあると思います。そして真剣に目の前にある課題と向き合っている先駆者たちが居ることも知っています。

 

だからこそ、Lism教育部は、

LGBT教育を普及したいわけではないんです。

私たちは、LGBTとは何かを説くつもりは全くなくて。当事者だからこそ感じている「こんなのがあればいいな、こんなのがあったらよかったな」それをカタチにできれば、今よりもっと生きやすい世界になると信じて、それを発信しているだけなんです。
 
そして、その想いに専門性を掛け合わせたのが今のLism教育部のカタチです。私たちはLGBTの専門家ではありません。LGBTについて語らせたらもっと深い知識を提供してくれる専門家さんや団体さんが数多くあるでしょう。LGBTはきっかけにしかすぎません。Lismのふたりの最初の共通点だっただけ。LGBT教育の在り方を考える前にそのずっともっと先、教育のみらいを、その先にある、子どもたちのみらいを考えるほうが、もっとずっと有意義だと思いませんか。だからこそ、今のカタチがあります。
 
そして我々は、教えることの専門家です。知識があることと、その内容を教えられることは全く異なります。当事者であるが故にアツイ想いを持っていることは素晴らしいことだと思いますが、想いを届けたその先を見据えていますか。知識は披露するものではありません、学びというのは、認知変容の結果・行動が変わることを指すんです。つまり、学びで得たモノをそれぞれがどう生活に還元していくのか。どうせならば、楽しいみらいのために。
 
そして私たちの最大の強みは、学びの楽しさを希求していること。だからこそ、独特の当事者性がLism教育部の学習会には全くと言っていい程ありません。我々の想いに共鳴してくださった先生方が居たからこそ。そんな皆さまと、新しいLGBT教育の在り方をみた1年間でした。
 
まだまだ成長中のLism教育部、
 
 
 
 
 
6th:LGBTAIQ交流会
 
学びの軌跡はいつかの誰かのために。
Lism教育部、来年は全く異なるカタチになっているかもしれません。それもそれで、楽しみですね。そこに”学びの楽しさ”という共通したテーマがあるのならば、私たちに迷いはない。

教育というものは、いつだって

子どもたちの健やかな発達のために。

Lism/maai